長崎家庭裁判所佐世保支部 昭和38年(家)435号 審判 1963年10月10日
申立人 ○○清一(仮名)
主文
申立人の氏「○○」を「山本」と変更することを許可する。
理由
申立人は主文同旨の審判を求め、申立の実情をつぎのとおり述べている。
(一) 申立人は予て病弱の妻と二人の子供の養育のため一人の収入により生計を維持していたが、本年三月妻は死亡し、申立人も六三歳の老齢となり今後の独立生計は困難となつたのでこの度熊本市所在の実弟山本和雄方に親子とも引取られて扶養を受け且つ子供の進学も約束されている。
(二) 申立人の氏「○○」は、熊本県、鹿児島県では特殊部落の出身者とみられており、申立人が実弟山本方に住込むことになれば○○姓の故をもつて実弟も同一出身者と見違えられ、果ては実弟がこれまで築いた即ち熊本市において合資会社山本クリーニング商会を経営し市内一流の業者であることの社会的地位と、これが経営に多大の影響を及ぼして引いては同家子女の結婚問題までにも障害を来たして円満な家庭を破壊することになるので、それを非常におそれている。
なお申立人の子もやがては実社会に出る時にこの氏から受ける卑下感を考えると親としてその情に忍びないものがある。
(三) 以上のように社会の一員として日常生活をするに当り誠に不利不便であるから実弟方に住込むに当り実弟と同姓の「山本」と称したいので申立に及んだ。
よつて本件記録中の戸籍謄本、鹿児島県出水市長の氏の変更許可申立に対する回答書、山本和雄(申立人の実弟)に関する熊本家庭裁判所調査官の調査報告書、当裁判所調査官の調査報告書等を綜合考察すると、つぎのようなことが認められる。
一、申立人は旧本籍の鹿児島県出水郡○○○町の高等小学校を卒業し、現役兵として入隊するまで同郡で代用教員をしていたが、除隊後は内地や朝鮮等で警察官をやり、応召後昭和一七年頃に佐世保海軍工廠工員となり終戦まで外地に出て昭和二一年三月引揚げ佐世保船舶工業株式会社工員となつたが、昭和二五年頃に人員整理で同社を退職し現在佐世保日野炭坑々外炭務係をしている者であつて、家族の中長男は夭折し昭和三八年三月には妻に死別し、長女は精神病院に入院し、現在では中学二年生の二男と二人暮しである。そして申立人は六三歳になり親子の生活は困窮しているため近々に熊本市○○町でクリーニング業を経営している実弟の山本和雄(同人は妻の氏を称している)の許に親子共に引取られて扶養を受けることになつている。
二、申立人はいわゆる特殊部落の出身であつて、これまでいわれない屈辱を受けひけめを感じて生活していたことも度々あり、申立人自身は勿論子供のためにも氏を変更したい希望をかねがね有していたこと。申立人の弟に当る山本和雄は、近隣に移住者や引揚者が多く、また鹿児島出身の自衛隊員が多いということで自己や申立人が特殊部落出身の者であるということがいつ発覚するかを虞れて申立人が氏を変更しない限り申立人親子を引取り扶養できないとし、氏を変更することを望み申立人もその必要性を痛感し氏変更の必要に迫まられている。
そこで考えるに、いわゆる特殊部落出身者であるが為に日常生活上いわれない差別や屈辱等を受けることは現実の社会生活に存在していることは否定できないことであり、これらを除去することは勿論必要であるけれども特殊部落民ということの一事のみでこれらの者に現在或は将来において現実に蒙るであろう社会生活上の苦痛を忍受させなければならない理由はごうもないから、本件申立人親子又は実弟その家族等から特殊部落出身者であるということをすみやかに忘れさせ、その社会生活面からの多大の苦痛を除去する必要性が存在していることは叙上のとおりであり、本件申立は戸籍法第一〇七条第一項にいういわゆるやむを得ない事由ありと認め主文のとおり審判する。
(家事審判官 長久保武)